ダンスはこうやってできた!〜ダンスの起源・ダンスの歴史〜

現代人の私たちにとって身近な「ダンス」

一体いつから、どこからダンスは始まったのでしょうか?

こんにちは、リンクスです!今日はダンスの歴史についてご紹介したいと思います☆

ダンスは、すべての民族それぞれ固有のものを持っているといわれています。そして、ダンスの歴史は人類の歴史と同様、とても古くから存在します。

ダンサー

さらに動物(特に鳥類)にも特有のダンスが見られることから、ダンスは「生命に内在する根源的な活動」といわれることもあります。

このように重要な位置付けであるダンスは、人間の祈りや願いを神に伝える手段とされ呪術的な意味を持ち、宗教的儀礼のほか、労働や戦闘での意識高揚、成年の通過儀礼などに用いられてきました。

一方では、レクリエーションやレジャー、芸術やスポーツの分野でも固有の文化的意味を持つジャンルとして発展しました。

ダンスステージ

現在、ダンスはさまざまなジャンルがあります。ヒップホップダンス、ブレイクダンス、社交ダンス、ジャズダンス、モダンダンス、バレエ、タップダンス、ベリーダンス、フォークダンス、エアロビクスなど多くのダンスが存在します。

今回は、さまざまなダンスジャンルの中で、ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史をピックアップして解説していきたいと思います!

ストリートダンスと黒人文化

ストリートダンスは、黒人音楽(ブラックミュージック)と黒人文化(ブラックカルチャー)にとても深いつながりがあります。

生まれ持ってリズム感があり、身体能力に長けているアメリカ黒人。皆さんもご存知のとおり、長い間、差別と貧困の中で生活してきました。

絶望する女性

そこでその持って生まれた才能を、スポーツや音楽、ダンスなどで活かしていくことで存在をアピールしてきました。しかしそこには、待遇の差別があり、見せ物的な舞台も、少なくありませんでした。

1930年代、ニューヨークのハーレムでは、黒人芸能をもとに、その時代の有名なアーティストを出演させていました。スウィングジャズ演奏に合わせて、ジャイブやタップダンスなどで人々を楽しませました。

その中でフレッド・アステア、ジーン・ケリーはとても有名です。彼らのダンスはワイルドで、身体能力をフルに活かした足さばきや、ジャンプの動作など、黒人らしい個性、キレ、ステップが多くの黒人ダンサーに受け継がれていきます。

その後、政治的に激動の時代を経て、1970年以降、やっと黒人の時代が切り開かれました。

夕焼けと人のシルエット

1970年代(アメリカ東海岸)

1970年代、ニューヨークのブロンクスのDJを中心とした若者たちが盛り上がって形になったのがディスコです。

すでに、巨大化したディスコ産業でしたが、こうした時代の流れとは離れ、ブロンクスに住む若者たちは純粋にビートの進化や表現手法にこだわりました。

ディスコ時代に、遊びに行くお金がない貧しいアフリカ系アメリカ人の若者たちは、公園に集まってパーティ(ブロックパーティ)をするようになります。

ディスコのミラーボール

アフロアメリカン、ヒスパニック系、カリビアンアメリカンが集まるブロックパーティから発信するものを、若者たちは、HIPHOP(ヒップホップ)と呼びました。

HIPHOPという言葉の語源や意味は、はっきり定義されていないですが、HIP(ヒップ)という言葉は、日本語で、「流行な」や「かっこいい」という意味になります。

HOP(ホップ)は、「跳ぶ」、「飛躍する」という意味で、音楽やダンスだけでなく、ファッション、アートを含め「黒人の創造性文化」をという意味を込めて、HIPHOP(ヒップホップ)と名付けられました。

そして、路上に段ボールなどを敷いてつくられたダンススペースで、ダンサーたちはブレイクダンスを踊りました。

ブレイクダンスをする男性

また、レコードをこする音、スクラッチをして、MCと呼ばれるラッパーが、そのリズムで韻をふみ、喋るラップを披露しました。貧しさゆえの暴力やドラッグ組織への関与に反対し、自由、正義、愛などを唱え、抗争ではなく、ブレイクダンスで争うことを広めました。

ヒップホップ は、アメリカのギャング文化とも関係があると言われていて、抗争で血を流さないために、銃や暴力の代わりとして、ブレイクダンスや、ラップで優劣を競い争ったと言われています。

また、ギャングの縄張りを主張したり、情報交換を目的として、グラフィティが使用されたとも言われています。

男性ラッパーのイラスト

1979年、シュガーヒル・ギャングというグループの「ラッパーズ・ディライト」というラップ曲が大ヒットしました。この曲が、当時ラジオやディスコで頻繁にかけられたことで、ヒップホップというラップの存在が、一般社会でも認識されました。

1970年代(アメリカ西海岸)

黒人による黒人のための番組、「SOUL TRAIN(ソウル・トレイン)が全米ネットとなり、アメリカ西海岸に住む若者たちは、この番組でダンスの腕を披露すべく、オーディションの列を作ることになります。

ソウルダンス

1977年公開の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が全米で大ヒットして、ダンスミュージックの人気は上がり、それに伴い、ソウルダンスも日本に輸入され、本国とは違った振り付けなどのオリジナリティを混ぜながら進化し、今日に至ります。

楽しくダンスを踊る人々のシルエット
ロックダンス

こうした時代の中で偶然生まれたダンスが、ロックダンスです。ドン・キャンベルが、当時流行していたファンキー・チキンという振り付けをうまく踊ることができず、それがオリジナルのスタイルとなって、ロックダンスと呼ばれるようになりました。

その後、ドン・キャンベルは、1970年に「ザ・ロッカーズ」というダンスチームを作り、1972年にはソウルダンスで注目を浴びました。 

ポップダンス

カルフォルニア州フレズノ出身の兄弟、ブーガル・サムと、ポッピン・ピートが新しいダンスを創り出しました。1960年代の未来映画からヒントを得た「ロボットダンス」をベースに、全身の筋肉を弾くような動き(ポップ)を加えたものです。

その後、サムとピートは、映画の「Breakin’」で一躍有名人となりました。 

ワッキング・パンキング

1970年代に西海岸で生まれたストリートダンスにパンキングがあります。元々は、ゲイカルチャーの1つで、1970年代初頭からあったと言われていますが、ダイアナ・ロスがこのスタイルのダンサーをバックダンサーとして起用したことで普及されました。

おしゃれなダンスシーンのイラスト

ヒップホップ アメリカ東海岸と西海岸の対立

1990年代頃から、東海岸のバッド・ボーイ・エンターテインメントと、西海岸のデス・ロウ・レーベルとの対立したように、両海岸のアーティストたちはお互いを牽制、威嚇、卑下し合いました。その内容はラップの歌詞にも現れ、それぞれの地域のギャングや、マフィアを巻き込んだ暴行、襲撃、発砲事件などに発展しました。

ヒップホップ 世界進出

スヌープ・ドッグやエミネムなどのHIPHOPアーティストのメジャーヒットや、映画「フラッシュダンス」のワンシーンを火付け役に、ブレイクダンスをテーマにした映画「ビート・ストリート」などの公開で、世界的にHIPHOPミュージックや、ブレイクダンスが流行し、HIPHOPは世界各国に広まるようになりました。

近年ではグラフィティに高いアート性を評価する動きもあり、さらなるHIPHOP文化の発展が進んでいます。

ダンスをする人たち

 1980年代

1980年代初頭、ヒップホップカルチャーを題材にした映画が多く制作され、世界の若者の心を掴みます。

脚光を浴びたヒップホップは、活動の場を変化させ、街角のアンダーグランド(裏舞台)からメインストリーム(表舞台)へと動き始めました。そしてダンサーは、テレビやスクリーン、舞台でも見られるようになりました。

シカゴのDJが1970年代フィラデルフィアソウルのリズムをヒントに、腹に響く重低音ビートを延々とループさせたハウス・ミュージックがダンスクラブにも広まり、世界へと広がりました。

DJ

1980年代後半には、歌とラップを融合させたニュージャック・スウィングが流行しました。ダンスの上手い歌手のボビー・ブラウンと、ラッパーでダンサーのMCハマーが大人気に。

特に彼らの、ダンスとファッションに注目が集まりました。若者たちの生活にも大きく影響してダンスブームを引き起こし、ダンスが競われるテレビ番組も、人気になってダンス人口を急増させました。

日本のヒップホップダンスの歴史

日本で大きくヒップホップが広まったきっかけは、なんといっても、1983年の映画「フラッシュダンス」です。

この映画は、ヒップホップ映画ではないのですが、シーンの一部に、子どもたちが路上でブレイクダンスや、ポップダンスをしています。そのシーンが、見ている人に大きな衝撃を与えたことで、ブレイクダンスをする人が急増しました。

この映画公開のあとに、ワイルドスタイル、ビートストリート、ブレイクダンスがたて続けに公開され、多くのダンサーに影響を与えました。

フリーズするブレイクダンサー

1983年には、映画「ブレイクダンス」で有名になったターボこと、ブーガル・シュリンプがプロモーションで来日したことで、日本のヒップホップカルチャーが盛り上がりました。

これらのダンサー以外にも、当時アメリカで活躍していたダンサーが日本に呼ばれ、当時の日本のダンスシーンに大きな影響を与えました。

 TV番組「DA DA L.M.D」からZOOが生み出され、現在、TRFのダンサーを務めるサムやチハルがレギュラーダンサーとして出演していた「ダンス・ダンス・ダンス」(フジTV)などが始まり、そのムーブメントは流行に敏感な若い人たちの間に広がりました。

また、日本における「ブレイクダンス」に次ぐ、第2次ダンスブームに、最も貢献したのは「天才たけしの元気が出るテレビ」のダンス甲子園のコーナーでした。

このダンス甲子園は全国ネットで、日曜日の20時という時間帯、そして元々「天才たけしの元気が出るテレビ」が人気番組であったことから、高校生を中心にダンスが爆発的なブームとなりました。

楽しむ人々のイラスト

このブームは1年半ほどで終わり、ダンスをやめる人も大勢いましたが、この文化にはまり、その世界にどっぷりつかる人も多くいました。

ブレイクダンス時代から、ダンサーと一緒に、こういった人たちが日本のストリートダンスを、単なる流行のものからしっかりとした文化として日本に根付かせていきました。

まとめ

いかがでしたでしょうか?今回は、ストリートダンスとヒップホップダンスの歴史について、日本ではどのように広がっていったのかを含め解説しました。

ダンスは人類の歴史と同じように、古くからあり、私たちにとって、とても身近なものです。そして、ダンスは、創り出された当時の文化や歴史的背景が大きく影響していることがわかります。

現代は、テレビやYouTubeなどのメディアによって、よりリアルタイムかつスピーディに新しいダンスを取り入れることができるようになりました。

ストリートダンスやヒップホップ ダンスも、少しずつ新しいスタイルが生み出されていきますが、根っこにある真髄は変わりません。

ダンススクール リンクスでは、ヒップホップのクラスがあります。プロの講師によるレッスンで、少人数制度ですので初心者の方でも安心して受講できます。

ヒップホップダンスの歴史を知った上で踊ってみませんか?いつもよりさらに深くヒップホップダンスを味わえるかもしれませんね。

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